■基礎知識
■正式国名➡タイ王国
タイ語名:プラテート・タイ
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英語名:Kingdom of Thailand

■国旗➡トン・トライロング(三色旗)
タイの国旗は青、白、赤の3色からなり、トン・トライロング(三色旗)と呼ばれています。それぞれ、青は国王を、白は仏教(主要宗教)を、赤は国家と国民の団結を象徴しています。

■面積・国土
タイは、カンボジア、ラオス、ミャンマー、マレーシアと国境を接し、またアンダマン海・タイ湾という2つの海と接しています。東南アジア・インドシナ半島の中央に位置し、インド/ヨーロッパ方面と中国とを繫ぐ交易の拠点として古くから発展を遂げてきました。
国土面積は日本の約1.4倍の約513,120km²で、おおよそスペインと同じ大きさになります。タイには76の県があり、①中部平野地域、②東部海岸地域、③東北部高原地域、④北部および西部山岳地帯、⑤南部半島地域の5地域で区別されています。これらの地域の大半は平野で、国土面積の40%近くを農地が占めています。
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■ 首都➡バンコク
タイ語名:クルンテープ※ 英語名:Bangkok
※ 正式名称 クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤ ー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドム ラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サ ッカタッティヤウィサヌカムプラシット
バンコクは「天使の都」を意味します。バンコクの人口は約1,060万人(2023年)で、首都圏面積は1,568km²(東京都の約4分の3)となっています。
■年号➡仏暦
仏暦を使用しています。西暦に543年を加えると仏暦になります。
仏暦2568年=西暦2025年=令和7年
釈迦の入滅を基準としており、タイの他ではカンボジアやラオスで使われていますが、ミャンマー、スリランカで使われる仏暦は基準の考え方の違いで1年のズレがあります(タイの仏暦2568年=ミャンマーの仏暦2569年=西暦2025年)。
■気候➡熱帯性気候
タイは全国的に熱帯性気候に属し、年間を通じて高温多湿です。季節は大きく以下の3シーズンに分かれます。
・暑季(3月~5月):最も暑く、4月のバンコクの平均気温は30~35℃。
・雨季(6月~10月):南西モンスーンの影響で降雨が多い。
・乾季(11月~2月):比較的涼しく、12月のバンコクの平均気温は25~30℃。
年間の平均気温は約28℃ですが、北部では乾季に10℃以下になることもあります。
【東京とバンコクの気温の比較】
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■時差
日本との時差は-2時間(UTC:+7:00)で、日本の正午がタイの午前10時です。サマータイムの導入は行われておりません。
■人口
約6,650万人(2023年推計、出典:タイ国家統計局)。大多数がタイ族で、その他、華僑、マレー族、山岳少数民族などが挙げられます。
■言語
タイの公用語はタイ語です。タイ語には独自の文字がありますが、このタイ文字は13世紀末にカンボジアのクメール文字に範を取って作られた表音文字です。現在のタイ文字は44の子音文字と32の母音文字があり、これらを組み合わせ、音節を形成し、5種類の声調で発音されます。日常会話では地方によって方言があり、山岳部の少数民族は独自の言語を使用しています。観光地のホテルやレストランでは、英語も通じます。
■通貨
通貨はバーツ(Baht、略称:THB)で、補助通貨としてサタン(Satang)(1バーツ=100サタン)があります。
紙幣は20バーツ(緑)、50バーツ(青)、100バーツ(赤)、500バーツ(紫)、1,000バーツ(灰色)の5種類が主に流通しており、10バーツ札はほぼ見かけません。硬貨は25サタン、50サタン、1バーツ、2バーツ、5バーツ、10バーツがあります。
約4.4円/バーツ(2025年3月末時点/三菱東京UFJ銀行・TTM)
円バーツレートは、2008年のリーマン・ショック以降、2.5~3円/バーツの間で安定して推移していました。しかし、2013年以降の円安やタイ経済の回復により上昇傾向が続きました。その後も為替変動の影響を受け、2025年現在では4円を超える水準となっています。
■タイの主な歴史
タイ王国の基礎は13世紀のスコータイ王朝より築かれ、その後アユタヤ王朝(14~18世紀)、トンブリー王朝(1767~1782年)を経て、現在のチャックリー王朝(1782年~)に至ります。1932年の立憲革命で、絶対君主制から立憲君主制に移行しました。タイの主な歴史は以下のとおりです。一般的にタイ人は、タイ族による初の統一王朝であるスコータイ王朝以降をタイの歴史としています。
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(かっこ内の年号は仏暦)
■政治体制
政体立憲君主制(1932年以降)
元首ワチラロンコン国王陛下/King Maha Vajiralongkorn(Rama Ⅹ)
現国王陛下は1952年7月28日生、2016年12月即位のワチラロンコン国王陛下です。
前国王は、1988年7月にタイ国王の中で在位最長記録(ラーマ5世の42年22日を更新)を達成し、2016年6月9日で世界最長の在位70年を迎えられましたが、2016年10月13日に88歳で死去。前国王は在位70年と現役の国家元首で最も長かったため、大多数のタイ国民にとって今回が初めて目撃する王位継承となりました。
2018年4月6日に新国王が新憲法案に署名し、新憲法が即日施行・公布されました。民主主義に逆行する内容を含んでいましたが、国王側の要請で国王権限を強める修正も行われたため、国王権限の見直しを含む政治改革の議論が続いています。
[行政組織]
内閣は国王によって任命された首相1名および35名以下の国務大臣(大臣・副大臣)によって構成されています。中央行政組織は1府19省からなり、各省庁には国務大臣および一部省庁に副大臣が任命されています。2023年8月、セター・タウィーシン首相が就任し、政権が発足しました。しかし、2024年8月には憲法違反の疑いにより解任され、タクシン・チナワット元首相の次女であるペートンタン・チナワット氏が第31代首相に選出されました。ペートンタン首相はタイ史上最年少の首相となり、2024年9月4日に新内閣が国王の承認を受け、9月12日に政策提案を議会に提出しました。
地方行政は、県(チャンワット)、郡(アンプアー)、町(タムボン)、村(ムーバーン)という内務省を中心とする中央政府の直接的な監督下にある縦割りの地方行政単位と、特別法に基づく自治市町、県行政機構、区行政機構、バンコク都、パタヤ特別市といった地方自治体が混在しています。
県知事、郡長は内務省官僚から任命されるものですが、バンコク都、県行政機構等の地方自治体の首長は公選です(ただし、パタヤ特別市は独自のシティ・マネージャー制を採用)。

国会は上下二院制の議会制民主主義をとっています。上院は議員数150名で任期6年、うち76名は選挙により選出、それ以外は国王により任命されます。下院は任期4年で議員数500名、うち小選挙区375、比例代表125より選出されます。
■教育制度
タイでは、1999年に制定された国家教育法により教育改革が進められ、教育制度は、1978年より日本と同じ6・3・3・4制が採用されています。就学前教育(幼稚園)、初等学校(小学校)、前期中等学校(中学校)、後期中等学校(高校)、高等教育機関(大学等)で構成されており、義務教育期間は初等学校の6年間と前期中等学校3年間の9年間で、これも日本と同様です。
2025年の後期中等教育(高校)進学率は約90%、高等教育(公開大学を含む大学)進学率は約55%となっており、教育の普及が進んでいます。
なお、世界銀行の集計によれば、2025年における識字率は96%で、教育水準は比較的高いと言えます。タイ国内の日本語学習者は約15万人で日本語学習にとても熱心で、日本語教育機関は700機関以上あります。2014年度から「日本語パートナーズ派遣事業」が開始され、タイにおける日本語教育の質的量的向上が期待されています。
■ 政治・経済動向
[アジア通貨・経済危機]
1997年初頭、海外で調達した資金が不動産に流入したことなどにより、タイ経済はバブルさながらの様相を呈していました。しかし、国際的投機筋の動きもあり、バーツ切り下げの圧力がかかり、政府は為替管理制度を通貨バスケット制から管理フロート制に移行しました(1997年7月2日)。
その結果、バーツは大きく売り込まれ、その動きは他のアジア諸国に波及し、アジア各国通貨が暴落し、金融機関や企業破たんが相次ぎ、経済混乱に陥りました。これがいわゆる「アジア通貨・経済危機」です。
同年8月5日、タイはIMF融資による172億ドルの受入条件を受諾し、抜本的な経済構造改革に着手し、10月には、民主化を推進する憲法改正を行いました。
[タクシン政権の発足]
このアジア通貨・経済危機の経済低迷が回復基調にあった2001年、タクシン・チナワットを党首とするタイ愛国党が、中小企業や農村重視の姿勢を打ち出し(デュアル・トラック・ポリシー)、国民の支持を得ました。そして同年の総選挙で圧勝し、タイ愛国党、新希望党、国民党、自由正義党からなる4党連立のタクシン政権が発足しました。国民の高い支持と下院における安定多数を基盤に、2005年1月には、タイ政治史上初めて、議会の任期を満了する政権となり、同年2月の下院総選挙を経てタイ政治史上初めて単独政権となりました。この間、これらの内需拡大政策の効果と見られる個人消費の活性化等もあり、経済は2007年頃まで比較的高い成長を続けます。
[タクシン政権の崩壊とその後の政治混乱]
2006年になるとタクシン首相の政治手法、シンガポール系企業への株売却に絡む不正疑惑が浮上し、市民民主化同盟(PAD、通称「黄シャツ」)を中心とする反タクシン運動が高まります。首相は下院を解散し、同年4月2日に総選挙を実施しました。主要3野党は出馬をボイコットし、愛国党は過半数票を得ましたが大量の白票で定員割れとなりました。首都などでは市民デモが繰り返され、首相は退陣の意向を表明しました。憲法裁判所は選挙無効の判断を下し、再選挙が行われる予定でしたが、9月19日夜、政治的混乱を収拾するとしてソンティ陸軍司令官率いる軍がクーデターで実権を握り、タクシン政権は失権しました。
[タクシン政権崩壊後の政治混乱]
政変を受けて発足したスラユット枢密院顧問官(元国軍最高司令官)を首班とする暫定政権の下、憲法起草議会により新憲法の起草が行われ、2007年8月にはタイ政治史上初の国民投票により新憲法が制定されました。
同年12月23日、同憲法に基づき下院総選挙を実施。愛国党を継承する国民の力党が過半数に迫る議席を獲得し、2008年2月6日、同党を中心とする6政党によりサマック党首を首相とする連立政権が樹立されます。外遊中のクーデターにより帰国できなかったタクシン元首相は、ロンドンなどを拠点に復帰の道を探し、親タクシンのサマック政権が発足したのを見届けて、同月末に帰国しました。しかし、PADによる反政府デモが激化し、カンボジアとの国境地帯にあるプレア・ビヒア寺院の世界遺産登録をめぐる政府の対応やテレビ料理番組出演問題での違憲判決でサマック首相は失職し、サマック政権は崩壊しました。
その後、ソムチャイ前副首相が国民の力党ほか連立与党の支持を得て新首相に指名され、同年9月25日、ソムチャイ内閣が発足します。ソムチャイ首相は、首相府の占拠を続けるPADに対し対話の姿勢を示しましたが、間もなくPAD幹部の1人が逮捕されると、PADのデモは激化の一途をたどります。PADのデモ隊は、同年10月には新政権の施政方針演説と憲法改正の審議を阻止するため国会の包囲を行い、さらにスワンナプーム国際空港、ドンムアン空港を占拠するなどして、ソムチャイ政権の退陣を迫りました。これに対し、政府は緊急事態宣言を発動し、警察によるデモ隊の排除を試みましたが、デモ隊による両空港の占拠は続き、出国できない多数の外国人旅行客が滞留する異常事態となりました。こうした状況の中、同年12月2日、2007年の総選挙における党幹部による選挙違反の案件を審議していた憲法裁判所は、国民の力党、タイ国民党、中道主義党の与党3党に対し、解党判決を言い渡し、3党の党首および役員全員は5年間の政治活動禁止の処分を受けます。これにより、ソムチャイ首相は失職し、ソムチャイ政権は崩壊しました。
2008年は、反政府デモ化により政局が不安定化したことに加え、折しもインフレ率の上昇で減退し始めていた消費や投資のマインドが悪化しました。さらに先の空港占拠等による緊急事態宣言の結果、観光業も大きく停滞し、経済成長率は低下を始めました。
[アピシット内閣の発足]
こうした流れの中で、国民の力党内で最大派閥を形成していたネーウィン派が、民主党と解党されたタイ国民党および中道主義党の議員、国家貢献党の一部からの支持を受けて、2008年12月15日、下院においてアピシット民主党党首が首相に選出され、同月22日、民主党連立政権が成立しました。アピシット内閣は、世界金融危機と国内の政治的対立によりタイ経済が大きな打撃を受けているとし、「社会におけるタイ人相互の調和・思いやり・幸福を回復するとともに、現下直面している経済危機を乗り越えていくことで、タイの発展を安全確実かつ持続的な形で実現していく」という経済政策を示し、海外の輸出市場の景気回復に伴うタイ経済の復興を目指しています。
[アピシット内閣、インラック内閣、軍政への変遷]
アピシット内閣発足2年を振り返るにあたり、2010年12月24日、政府官邸より2年前との比較情報が公開されました。
リーマン・ショック等の影響もあり、現政権が発足する以前は、GDPがマイナス成長し、失業者が200万人に達する等、経済の悪化が予想されていました。しかし、この2年で、輸出動向の改善にも支えられ、2010年のGDP成長率は7.9%という驚くべき回復を遂げています。2010年には失業者が34万3,000人(失業率0.9%)にまで減り、輸出額は前例のない177億ドルにまで上昇しています。2008年には1,460万人だった観光客数が2009年に1,410万人に落ち込みましたが、2010年には1,520万人に再び増加しました。これらの数値は、株価指数を2倍にも引上げる効果をもたらしています。
ただし、国内での評価は高くはなく、私立バンコク大学がタイのエコノミスト76人にアピシット政権の経済政策の評価を調査したところ、総合評価は10点満点中5.12点でした(調査期間:2011年5月10日~13日)。項目別の点数は国内総生産(GDP)の成長が6.85と最も高く、続いて公的債務の管理は5.03、社会正義の実現、経済格差の是正は4.76、物価上昇の抑制は4.00でした。このことから、経済成長率に比べて、政府への支持された訳ではないようです。
[インラック政権発足]
2011年、タクシン元首相の実妹であるインラック氏が首相に就任し、タイ貢献党を中心とした連立政権が発足しました。タイ史上初の女性首相となったインラック政権の課題は、景気対策とインフレ抑制でした。2013年11月にタクシン元首相の帰国・復権に繫がる恩赦法案がインラック首相率いる与党タイ貢献党を中心に下院で強行可決されたことをきっかけに、再び大規模なデモが発生しました。政治混乱により、2013年の経済成長率は、タイ中央銀行が当初予測していた4.5%から、実際には2.9%にまで下がりました。さらに、かつて年一時安定したかに思われた政情は再び不安定な状態に陥りました。2014年5月7日、タイのインラック首相が政府高官人事で職権を乱用したとされる裁判で、タイの憲法裁判所はインラック首相の行為は憲法違反とする判決を下し、首相は失職することになりました。判決後、選挙管理内閣は、インラック元首相の後任をニワットタムロン・ブンソンパイサーン副首相兼商業相と発表しました。
農民の多い北部を中心としたタクシン派がインラックの失職に反発しました。タイの人口の半数を占める農民にはタクシン派が多く、支配層および都市部では反タクシン派が多くなっています。同月15日、15~20%だった輸出額成長率は2011年以降ほぼゼロとなり、タクシン派と反タクシン派によるデモの最中には爆発により死者が出る大惨事となり、さらに銃撃戦に発展しました。両派の対立による治安悪化が懸念され、同月20日、タイ反政府デモを巡ってプラユット・チャンオチャ陸軍司令官は戒厳令を発令しました。その2日後には、国家平和秩序評議会(NCPO)を結成して軍事クーデターを決行し、同国の実権を掌握しました。そして、ニワットタムロン首相代行率いる文民政権を打倒しました。これにより、約3年間続いたタイ貢献党によるタクシン元首相派政権が崩壊しました。その後、1年かけて新憲法制定などの改革に取り組んだことにより、選挙は約1年遅れ、暫定政権が2年以上続きました。
[プラユット内閣発足]
2014年8月25日、国王からの任命を受けてプラユット氏が正式に第37代首相に就任しました。プラユット政権は閣僚33人のうち12人が軍人で、陸軍主導の態勢が明確な、軍人色の強い政権となりました。王政を守ることを最も重要な課題と位置づけ、汚職の撲滅や貧富の格差の是正、経済や教育の改革など11の重点項目を発表しました。その後、低迷する経済を立て直すため、国家平和秩序維持評議会は民政復帰に向けた「ロードマップ」を発表するとともに、ロードマップに基づく新憲法が制定されました。2016年8月から立法会議や憲法起草委員会を立ち上げ、同月の国民投票で新憲法案が可決、2017年4月6日には公布・施行に至りました。
[セター・タウィーシン内閣発足]
2023年8月22日、セター・タウィーシン氏が第30代首相に選出され、新政権が発足しました。彼の政権はプアタイ党を中心とした連立政権であり、経済成長の促進と社会格差の是正を主要課題としています。最低賃金の引き上げやデジタル経済の推進に取り組む方針を示しました。
[ペートンタン・チナワット内閣発足]
2024年8月、憲法違反の疑いによりセター首相が解任され、新たにペートンタン・チナワット氏が第31代首相に選出されました。彼女はタクシン・チナワット元首相の次女であり、37歳での就任はタイ史上最年少となります。新内閣は2024年9月4日に国王の承認を受け、9月12日に政府の政策提案を議会に提出しました。新政権は経済回復、社会福祉の拡充、デジタル技術の導入を重点課題として掲げています。
■ 日・タイ関係
1991年9月には天皇・皇后両陛下がタイを訪問され、2003年8月には、シリキット王妃陛下72歳慶祝およびウボンラーチャターニー大学からの名誉学位授与のため、秋篠宮同妃両殿下および両内親王殿下もタイを訪問されました。2006年6月のプミポン国王陛下在位60年慶祝式典に際しては、天皇皇后両陛下が再び訪泰されました。2022年は日タイ修好135周年を迎え、人的交流の拡大、持続的な日本の対タイ投資および日タイ経済連携協定による経済関係の強化など、両国関係はますます緊密度を増しています。2024年10月11日、ASEAN関連首脳会議に出席するためラオスを訪問したタイのペートンタン・チナワット首相は、日本の石破茂首相と会談を実施し、日本の自動車産業への投資や特別経済開発区など、二国間協力の強化を推進していく意向を示しました。一方の石破首相は、エネルギーや自動車産業の新技術分野での協力を推進することに合意し、安全保障分野における協力の強化についても言及しました。
一般的にタイ人の親日度は高く、一般市民および有識者を含め対日観は基本的に良好といえます。日本に関する話題も、経済・政治・外交から文化・観光・ファッション、料理、ハイテク製品まで幅広く取上げられており、日本に対する高い関心度がうかがえます。特に、アニメ・漫画・映画などのポップカルチャーは、タイの青少年を中心に確実に浸透しており、製造業以外の日本の進出の裾野を広げています。
[在留邦人数]
2024年10月1日時点で、タイに在留する日本人は70,421人となり(外務省)、前年比約2,000人の増加となりました。国別順位では引き続き上位を維持しており、このうち51,407人がバンコクに在留しています。バンコクの在留邦人数は世界の都市別ランキングで2位に位置し、引き続き増加傾向にあります。
■タイの宗教➡仏教
タイでは国民の9割以上が仏教を信仰しており、主要宗派は上座部仏教(小乗仏教)です。割合としては、仏教が92.0%、イスラム教が5.4%、キリスト教が1.0%、その他が1.6%となっています。
全国には約3万の仏教寺院が存在し、僧侶の数は約28万人とされており、仏教以外では南部のマレー系住民に多いイスラム教徒が約5.4%、中部のベトナム系住民に多いキリスト教徒が約1.0%を占めています。その他、割合からすれば少数ですが、インド系住民に多いヒンドゥー教やシーク教の人もバンコク等商業地で目にすることがあります。地方に行けば、土着の精霊信仰が仏教と融合しつつも依然として残っているようです。
憲法上は信仰の自由を保障していますが、国民のほとんどが仏教徒であるため、仏教は実質上の国教と言えるでしょう。実際、国王は「すべての宗教の庇護者」であると同時に、仏教徒でなければ国王には就けないという規定があります。
同じ仏教であるとはいっても、日本は厳格な戒律にとらわれず大衆の救済を目指す大乗仏教である一方、タイでは厳しい修行を経た者だけが救済されるという上座部仏教で、両者の性格は大きく異なります。上座部仏教の弊害として、修行もそれによる救済も基本的に自分一人のものであることが転じて、「自分さえ良ければよい」という自己中心的な考え(ヘン・ケー・トゥア)を持つ人が多いとの指摘もあります。
タイでは信仰心が篤い人が多く、日本よりもはるかに日常生活に仏教が溶け込んでいます。一時僧制度という一時的な出家を行う伝統的な慣習もあり、一部の公的機関や大企業では出家のための長期有給休暇が認められているほどです。
宗教と直接的に繫がるわけではありませんが、タイでは王室や国家を非常に重視していることを忘れてはいけません。王室を批判すれば不敬罪に問われますし、タイ人からは冷たい目で見られてしまいます。朝夕2回、公官庁や学校では国歌が流れ、国旗を掲揚しますので、可能な限り動きを止めて敬意を表しましょう。
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【タイの不動産事情】 タイの物価は一般的に、日本の約20%程度と言われています。ただし、近年上昇傾向にあり、バンコクなどの都心部では日本の物価の3分の1程度にまで上がるので注意が必要です。それでも日本で生活するのに比べ、安価で優雅な生活を送ることができるのは魅力です。 住宅事情に関しては、バンコク市内の賃貸相場は、ワンルームで8,000~15,000バーツ(約36,000~67,500円)、2ベッドルームで25,000~35,000バーツ(約112,500~157,500円)となっています。初期費用として、デポジット(敷金)は家賃の1~2ヶ月分が一般的で、礼金や仲介手数料は不要な場合が多いです。 |
[参考資料・ウェブサイト]
- 外務省「タイ王国」http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/thailand/data.html
- 「在タイ日本国大使館――領事関連情報」http://www.th.emb-japan.go.jp/itpr_ja/consular_zairyuto.html
- 気象庁「東京降水量の月合計値」http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/monthly_s3.php?prec_no=44&block_no=47662&year=&month=&day=&view=p5
- 国土交通省気象庁http://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/monitor/climatview/graph_mkhtml_nrm.php?n=48455&m=1
- 総務省統計局「世界の統計――第二章人口」http://www.stat.go.jp/data/sekai/0116.htm#c02
- 三菱東京UFJ銀行「外国為替相場一覧表」http://www.bk.mufg.jp/gdocs/kinri/list_j/kinri/kawase.html
- 在東京タイ王国大使館「タイ基本情報」http://site.thaiembassy.jp/jp/info/about-thailand/4843/
- 日本経済新聞「タイのプミポン国王が死去在位70年」2016年10月13日http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM13H9I_T11C16A0MM8000/
- Cilsien-ASEANInfoClipshttp://cilsien.info/asean-info-box/thailand/%E3%83%AF%E3%83%81%E3%83%A9%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%B3%E7%9A%87%E5%A4%AA%E5%AD%90
- 大泉啓一郎「タイ・プラユット暫定政権の経済政策の行方」環太平洋ビジネス情報RIM2014、Vol.14No.55https://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/rim/pdf/7714.pdf
- 大泉啓一郎「タイ・プラユット暫定首相の所信表明演説」アジア・マンスリー2014年11月号https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=25517
- 「【タイ】プラユット陸軍司令官が暫定首相にクーデターを主導、強まる独裁色」HUFFPOST、2014年8月22日http://www.huffingtonpost.jp/2014/08/21/thailand_n_5697835.html
- JETRO「タイ――概況」https://www.jetro.go.jp/world/asia/th/basic_01.html
- 国土交通省国土政策局「各国の国土政策の概要――タイ」http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/international/spw/general/thailand/index.html
- 「岸田文雄総理大臣とセター・タウィーシン首相の会談(2023年)」https://www.kantei.go.jp
- 「石破茂首相とペートンタン・チナワット首相の会談(2024年10月)」https://www.kantei.go.jp
- 「日・タイ首脳会談(2023年12月)」http://www.th.emb-japan.go.jp/itpr_ja/policy_index.html
