Turkey
Basic Information (History)
:: Question ::
主な歴史的な変動は?
:: Answer ::
[オスマン帝国の隆盛] 1299年、オスマン1世によりオスマン帝国が建国されます。 その後、北アフリカ、東ヨーロッパ、西アジア方面に支配地を広げ、地中海の制海権を握ります。 1520年に皇帝に即位したスレイマン1世の時代に最盛期を迎え、広大な領土内に多文化・多民族の共存する巨大な帝国となりました。 20世紀に滅亡するまで、600年以上もの長きにわたり存続していくことになります。 [第一次世界大戦の敗戦と「トルコ革命」] 第一次世界大戦で連合国に敗れたオスマン帝国は、パリ講和会議で大幅な国土分割を余儀なくされ、首都イスタンブールを国際管理下に置かれることになり、事実上の滅亡を迎えます。 それに対し、1920年にアンカラで大国民議会が開かれ、第一次世界大戦で活躍した軍人ムスタファ・ケマルを指導者として、「トルコ革命」と呼ばれる祖国回復運動が展開されました。 その結果、1923年に新たにローザンヌ条約が結ばれ国境が定まり、同年10月にアンカラを首都としてトルコ共和国が樹立されました。 [ケマル・アタテュルクによる近代化] 独立の立役者であるムスタファ・ケマルは、アタテュルク(建国の父)の尊姓を手にし、初代大統領に選ばれました。 アタテュルクはイスラム世界としては初の共和制を取り入れました。 現在まで続く、共和主義、世俗主義、法治国家、社会国家という4つの原則を明記した憲法のもとに国家運営がなされる礎は、このときに生まれました。 また、トルコ語表記のローマ字採用や女性参政権などの近代化政策が矢継ぎ早に断行されました。 [第二次世界大戦の終了と冷戦] 第二次世界大戦でトルコは中立的な立場をとっていましたが、終戦間際に対ドイツ、対日本への宣戦布告をして連合国側につきました。 戦後は、1952年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟、東西冷戦時においては西側陣営として対ソ最前線基地を提供することとなります。 [キプロス侵攻] ギリシャ系、トルコ系住民が暮らすキプロスで、1974年にギリシャの軍事政権の支援を受けたクーデターが起きました。 それに対抗する形で同年トルコ軍が侵攻・常駐し、南部ギリシャ系地域と北部トルコ系地域とに分断される形となりました。 その後、和解・統合交渉が何度も行われてきましたが不調に終わり、「キプロス問題」として、隣国ギリシャとの対立だけでなくEU加盟への障害にもなっています。
Creater : Yumi Miura